Portrait of a Lady

人生ではじめて、フレデリック・マルの店舗で香りを試させていただいた。

 

憧れのブランドである旨を告げると店員さんは俺の愛を試すような笑みで「最初にどの香りを出しましょう?」と挑戦してきた。

 

答えは決まってる。

 

「Portrait of a Ladyで!」

 

試香紙に吹き掛けていただいたものを嗅いで、すぐに素晴らしいローズの香りだと感じた。

 

でも、その時はそれだけで、他に幾つか試させていただき、結局同行者はビガラード・コンサントレ、僕はムスク・ラヴァジュールを纏わせていただき、試させていただいた全ての香りに試香紙をいただき(ムスク・ラヴァジュールにいたく感動しつつ)帰路につきました。

 

帰宅してしばらくして、ひとりでゆっくり試香紙と向き合って初めてPortrait of a Ladyの真の美しさに心を打たれました。

 

これは“真に美しい女性の人生そのもの”だと感じさせる迫力。

コマーシャルで加工に加工を重ねた皺の一つも、影の一つ何も無いような“カンペキにウツクシイ”虚構ではなく、ひとりの高貴な存在の、陰や苦しみまで含めたすべてが重なり織りなす美しさ。

 

一本の香水を吹きかけた試香紙と向き合うだけで、長編小説を読まされたかのような感覚。

間違いなく最も感動した香水のひとつ。

 

崇め奉るためいつか必ず買わせていただきます。

「右翼」「左翼」という言葉を使う人間は議論ができない

あなたは「右翼」ですか?それとも「左翼」ですか?

あなたの論敵は?あなたが支持する方は?

 

正解は「どちらでもない」です。

 

人間の思想なんて千差万別の最たるものであって、なんらかのレッテルを貼ってカテゴリーを分けることは判断を誤る要因になるだけであり、百害あって一利なしの愚行です。

他人や自分自身の思想を理解する妨げにしかなりません。

 

しかし、ネット上で熱心に政治談義をしている方々を見ると、やれ「ネトウヨ」だの、やれ「パヨク」だのと他人にレッテルを貼るだけ貼って内容には何一つ反論もしない人々ばかり。

当然ですね、反論なんてできるわけないですから。

彼等は自分自身に「右翼」あるいは「左翼」というレッテルを貼り、その属性に従おうとしているだけであり、「自分自身」の思想なんてとっくに失っているのですから。

 

思想を「ウチ」と「ソト」に分けることにより安心を得ているだけです。

「ウチ」にカテゴライズしたものには懐いて、「ソト」にカテゴライズしたものには吠えるだけ。

共通するのはどちらにも「批判」が存在しないこと。

 

批判なしに議論なんてできるわけがありません。

 

政党政治はこの傾向を強めて、人々から思考能力・批判能力を奪い取り、政治の質を落とすだけの愚かな制度であり、今すぐ廃止されるべきです。

 

人間ひとりひとり、自分自身の思想で戦わないと良い議論なんて永遠に生まれません。

 

皆さまは愚行に走らず、自分自身の思想・哲学で物事を批判し、語ることを期待します。

空気の破壊

「空気」が嫌いだ。

「空気を読む人」が嫌いだ。

「空気を読めと言う人」が大嫌いだ。

哲学がない人が・・・好きじゃない。

 


僕の理想は、「空気」という概念の破壊とそれによってもたらされるであろう、一億総実存主義社会です。

 


日本社会を支配する「空気」というもの。

鴻上尚史さんは、「世間」が流動化したものが「空気」である、といいその「世間」を西欧社会における「一神教」に似たものであると表現していたと記憶しています。

的を射た表現です。

 

ニーチェは「神は死んだ」と宣言し、超人として生きることを理想として説きましたが、僕は現代の日本社会においては「空気」(あるいは「世間」)は死んだと宣言する、そして実際に殺してしまい、すべての人に何にも縋らない「自分自身」として生きることを余儀なくすることが必要・・・というのは大げさですね。

単純に僕にとっての理想だというだけの話です。

 


「自分自身」として生きるというのは、同時に他者の「自分自身」を尊重する、ということでもあります。

そんな一億総実存主義社会が僕の理想です。

 


そのために実際どう「空気」を破壊するのか、というのはまだまだ考え中ですが・・・。

 

せめて失望させてほしかった

小4だったかな? 
学校行事で山の学校みたいなところに行った。

 

班ごとに分かれて山道を決まったルートで歩くみたいな意義も何も分からないことをさせられた時に俺の班が迷子になった。

 

他の子を励ましたりしながらしばらく歩いてると小川を見つけた。


天才少年の俺は当然班の仲間に「闇雲に歩くんじゃなくて小川に沿って下流に向かえば水を利用してる民家もあるかもしれないし、集落に出る可能性も高い」と説明し、途中で進路の都合上小川の中も歩いたりしながら少ししてワンちゃんを飼ってる民家を見つけてオッサンに軽トラの荷台に載せられて助けてもらった……。

 

という極めて論理的に民家まで仲間を励ましながら辿り着いた、という話を当然小学校教師にも話したわけだけど、親に伝わっていた内容は「健人くんが川に落ちた」の一言。

 

教師に失望はしなかった。
失望できるほどの望みなんて教師には抱いてなかったから。

ゲームのバランス調整に対する持論:下方修正を要求されたら上方修正をするべき!?

「なんなんだよこのクソゲー!全然勝てん!バランス調整ゴミすぎる!あのクソキャラを下方修正しろ!!!」


……昨今のゲームに関するツイートなどではよく見かける意見ですね。

 

実際にキャラクターごとの勝率等のデータが公表されている対戦ゲームも少なくありません。しかし、実際にゲームバランスが悪く強キャラと弱キャラが存在している場合に、果たしてこのような意見に従って下方修正を施すことは適切な対応なのでしょうか?

 

僕は人生の大半をWoWというオンラインゲームに捧げていたので、数十回を超えるバランス調整をこの身で体験し、友人達の意見を聞いたり掲示板に張り付いてユーザー達の意見を見たりしてきました。
その経験をもとにどのようなバランス調整をするべきかについてPvPの場合について考察します。

 

PvP?PvE?何言ってんだ死ねよこのクソ廃人が」という人も多いですよね。

 

PvPとは「Player vs Player」つまり対人ゲームのことです。
ストリートファイターなどの1対1のものもありますし、極端な場合はPUBGのように100人でグッチャグチャに殺しあうゲームもあります。

 

PvEとは「Player vs Enemy」つまりコンピューターを相手に戦うゲームです。
モンハンやモンストなどはこっちですね。
PvP好きには「インターネットドラゴンを倒すだけの虚無の作業」とか言ってバカにされたりします。(ちなみに僕はPvEゲームの方が圧倒的に好きです)

 

今回はよりシンプルなPvPのバランス調整について考えていきます。


ゲームバランスが直接ユーザーの勝敗に影響するので、PvEゲームに比べて調整を望む声や運営への無意味な罵詈雑言が多く見られます。

 

ほとんどは「勝率トップのあのクソキャラを下方修正しろゴミクズ無能運営が死ねよクソ!」みたいな意見ですね。

 

ですが、PvPゲームで安易に下方修正を施すことは長期的にはユーザー満足度を下げてゲームの寿命を縮めることになると僕は考えます。

 

 

勝率が高いキャラクターの強さを100、それ以外のキャラクターの強さを0としましょう。

 

強いキャラクターに下方修正を施して全キャラの強さを0に統一した場合について考えましょう。

 

この場合、もともと強いキャラクターを使っていた人は調整内容を損失と認識します。
それ以外の弱いキャラクターを使っていた人は調整内容を利得と認識……はしません。


結果的には勝率は上がりますが、直接的に自分が使っている弱キャラの性能が上がるわけではないので、調整内容自体を利得とは認識できないわけです。

 

では、逆に弱いキャラクターたちを上方修正して全てのキャラクターの強さを100に統一した場合はどうなるでしょう?


強いキャラクターは今まで通り強さは100のままですが、他のキャラクターたちが上方修正されるので相対的には弱くなっています。


しかし、このキャラクターを使っていた人は調整内容自体を損失とは認識しません。
他のキャラクターたちを使っていた人は自分が使っているキャラが上方修正されるので、調整内容自体を利得と認識します。

 

全てのキャラクターの強さが同じなら、それが0だろうが100だろうが同じことですが、強キャラを下方修正したら調整内容を損失と認識する人はいても利得と認識する人はいません。弱キャラたちを上方修正したら調整内容を利得と認識する人はいても損失と認識する人はいません。

 

よって、PvPゲームにおいては強キャラを下方修正するのではなく、全キャラを強キャラに合わせて上方修正する方がユーザー満足度は高まるというのが僕の持論です。

 

他のキャラクターに調整が入ると相対的には自分が使うキャラクターの強さも変化することは明らかなのに、なぜ僕の持論ではそこから利得や損失を感じないとしているのでしょうか?


これには行動経済学的な視点を取り入れることで説明できると考えています。

行動経済学で使われるプロスペクト理論では人間は「損失回避性」というバイアスを持っていて、個人差はありますが参照点からの損失を同程度の利得の約2倍から3倍強く感じるということを多くの実験で示しています。

 

「だから下方修正から感じる主観的な損失がデカいからダメなんだ!!!!」……と言いたいわけではなく、僕の持論を説明する上では人間が参照点からの変化に対して利得や損失を感じるという部分が重要です。

 

大雑把に言うと、参照点とは主観的な評価をする際に比較対象とする水準です。

 

では、バランス調整の内容に対して人々が参照点と定めるモノとはなんなのでしょう?


おそらくほとんどの人は「調整前の自分のキャラクターの強さ」を参照点と定めるはずです。

 

自分のキャラクターの強さが直接的に調整されると参照点である「調整前の自分のキャラクターの強さ」からの変化が生じるので、そこから利得や損失を感じます。


しかし、他のキャラクターが調整されても参照点である「調整前の自分のキャラクターの強さ」には変化がないので、利得や損失を感じない、ということです。

 

バランス調整前後のユーザー数、満足度、キャラクター使用率などのデータを統計的に分析するなりすればもう少し踏み込んだ論を展開できるでしょうが、めんどくさいのでしません。


バランス調整に対する無数の意見を見てきた僕の主観的な経験とは整合的な論にはなっていると思います。

 

一応言っておくと、この持論はPvPゲームにのみ当てはまるもので、PvEの場合はもう少し複雑な事情が絡んでくるので、上方修正が必ずしも有効な調整手段とは限りませんし、ガチャなどの要素が絡むとPvPに対してすらも当てはまらない可能性があります。

 

まだまだ確証を持っているわけではないので、意見や感想をいただけると幸いです。

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なんか、全体的に重くて暗いものばっかりやね……これから春になって使いづらくなるものばかりだしもっと季節を考えるべきやね